松橋悠希プロフィール

はじめまして。松橋悠希と申します。

こちらのページでは私がいままで経験したことを元にどうして声優を目指したのか?

声優になるために、どういった道のりを歩んできたのかを書かせていただきました。

 

人見知り・コミュ障を克服したかった!

声優を目指したきっかけは人見知りだったということから。

中学生の時ですが、なかなかクラスに馴染めず
どちらかというとクラスのどのグループにも属せない人でした。

人とうまく話をすることができず、
いわゆるコミュ障でした。

そのこと自体、私はとても嫌なことで、
なんとか自分の性格を変えたいと思っていました。

でも、どうしたら変われるのかわからない。

そんな時、アニメを見ていて
アニメのキャラクターに声を当てている“声優”に興味を持ちました。

声優になるには演技をするわけですから、
人と話をしなければいけない。

人と話をする練習をたくさんできるのであれば、
コミュ障、人見知りを克服できるのはないか?

しかもアニメは好きだし声優になってみたい!

そんな思いから、
将来は声優を職業にしたいと思いました。

声優になりたい!と思っていたけれど、
どうしてもその一歩が踏み出せなかった。

そこからアニメの雑誌はもとより、
声優グランプリという雑誌を買ったりして自分なりに調べていきました。

そういった本を読んで

『声優になるためにはどうしたらいいのか?』

必死に探したのです。

そこでまず学校の演劇部に入ろうと思いました。

ですが、声優を目指すということを意識した時に
どうしても演劇部に入るのが怖くなっていました。

その理由は、

「演劇部に入るのに演技のことなんかわからない」
「しゃべることができない、人と話もできない」

ましてや、あんなに長い台本の台詞なんか覚えることができるんだろうか?

そんなことを考えてしまい、
私が演劇部なんか入ってもただの足手まとい。

そんなふうにマイナスのことばかりを考えてしまっていたのです。

それでも声を出してなにかを表現したいということもあり、
演劇よりかは合唱のほうがみんなで歌うから怖くない
という理由で合唱部に入りました。

中学時代の私は人見知りでコミュ障、
しかも人の目を異常に気にする性格でした。

だから“声優を目指したい”なんてとても人に言えるわけもありません。

もちろん友達にも親にも言えるはずもない。

なのでその夢は目指せるタイミングを見計らって
そっと閉まっておくことしかできませんでした。

高校時代も変えることができなかった

高校に入っても相変わらず自分に自信が持てずにいました。

中学の時に合唱部にいたので、また合唱をやろうと思っていたのですが、
行った高校の合唱部は吹奏楽部と合体しているような状況で、
しかも吹奏楽部の練習はほぼ毎日という強豪校でした。

もちろん演劇部もあります。

演劇部は新入生歓迎の体験入部期間があったので、
見学にはいきました。

当然のことですが、高校の演劇は中学より
さらにレベルの高い演技をしているので、
私はここでさらに演劇部はハードルが高すぎる
と思ってしまったのです。

そこで、歌に類似していたギター部というのがあったので、
そちらに入部。

高校でも結局、演劇部に入る勇気が出ませんでした。

そこから進学を考え、大学受験になるわけですが、
私の志望としてはもちろん、芸術学部に行くことでした。

ですが、ここでも自分の弱さが出てしまうのです。

ちょうどクラスでは

『就職に有利なのは理系だ!』

という話が出ており、私の周りの友達はこぞって
工学部、理学部といった理系の受験を目指していました。

それに対して、自分は芸術系、文系です。

ですが、周りの友達に流されるような形で
私も理系に進学することに方向を変えます。

その結果、一応現役で大学の工学部に合格。

進学することはできたのですが、
私の中ではここでも逃げてしまったのです。

大学が最後のチャンス!もう逃げられない!

晴れて大学に進学したのですが、
大学といえば多種多様のサークル・部活があります。

声優をやりたい、演劇をやりたいと決意してから
なかなか演劇部に入部する勇気がなく、
逃げに逃げて中学、高校と6年の時が過ぎました。

6年間も時間を費やしておきながら
いまだに演劇部に入ってもいません。

私はここで腹をくくる覚悟をしました。

『もう大学生、ここで演劇部に入らなければ後がない!』

“もう逃げれない!”
“絶対に後悔したくない!”

そんなふうに思っていました。

大学では演劇研究会(通称:劇研)という名前でサークルがありました。

今でも覚えているのですが、
入部の届けを出しにいくのが非常に怖かったです。

“部室のドアを叩いて入部届けを出す”

ただそれだけのことなのに、
ずっと部室の周辺をうろうろしていました。

しかも一日ではないのです。

入部届けを出すために数日間、部室の前まで行く。

部室の周りをうろうろする。

それを繰り返していました。

“今日も出す決心が出なかった…”

入部届けを出すだけなのにその壁が突破できない。

それから数日かけてようやくですかね。

入部届けを出せたのは4月の下旬。

もう5月になろうかというくらいでした。

本来なら、4月はじめに入学式があるので
入学式後のはじめの1週間くらいで入部届けを出せるものを
私は半月以上もかかってしまっていた計算になります。

今思うとあらためて自分のヘタレさ加減がよくわかります。

こうして私はようやく演劇部に正式に入部することができたのです。

演劇の厳しさ、挫折を味わった

やっと演劇研究会(劇研)に入ることができました。

劇研は役者(キャスト)と
裏方(音響、照明、衣装、大道具、小道具、制作など)
に担当が分かれておりました。

役者になるには劇研内でオーディションがあるのですが、
それにクリアしないと役者になることはできません。

役者になっている人を見ていると、
3、4年生といった上級生が多かったです。

1、2年生から出れるのは演劇経験者だったとか
オーディションの時に実力が認められた人という感じでしたね。

年間3~4回公演。

一回の公演期間は4~5日間、
マチネ(昼公演)、ソワレ(夜公演)と
1日に2回公演があります。

役者になると本番まで毎日稽古。

公演が終わったら、少しの期間休みになりますが、
またすぐ次の舞台公演の準備がはじまるので、
束の間の休息という感じでした。

そのため、単位をとることができず、
卒業できず留年して、
それでもなおやっている先輩もいました。

大学の劇研恐るべし!

もし役者になってしまったら私も
4年で卒業できず、留年になってしまうのだろうか…

この時、そう思いました。

それでもまあ、演劇はじめてだし、
まずは裏方でなんとかやっていこう
そう思いました。

最初の舞台公演で私が担当したのが「照明」でした。

照明は灯体(とうたい)という、大きくて重い、
ライトをつけるとめちゃくちゃ熱くなる、
やけどしてもおかしくない、
スポットライトを扱っていました。

それに付随して、コードの巻き方を学びました。

8の字巻きというものですね。
はじめはこれができるように練習させられました。

また、リハーサルなどで立稽古を見ながら、
照明用のキューシートの作成もしました。

キューシートとは演技者の動きとその範囲をメモしながら、
舞台装置のデザインや劇場の構造、
衣裳のデザイン、小道具の位置、

音楽や効果のポイント等から照明の構想を重ね合わせ、
場面に応じてどういった明るさにするか、
光の方向はどうするか、色彩、明暗、カットイン、フェードアウトなど
を計画していき具体化していくものです。

こうやって書くと一見難しいように感じますが、
要は役者さんの動きに合わせて照明担当が
どのように照らせば舞台が映えるのか
というのを考えていくことをしていました。

この裏方の仕事はいい経験だったと思います。

役者だけをやっていたら裏方さんの苦労はわかりません。

舞台はお客さんから見れば役者ばかりが目立って見えますが、
その裏で照明があったり、音響があったり、衣装があったりと、
裏で支える人達の努力もあって、
ひとつの舞台作品が出来上がるんだなというのを実感しました。

劇研は上下関係が厳しかったです。

舞監(舞台監督)からの指示は絶対。
先輩からの命令には従う。

同じ劇研メンバーとすれ違う際は
必ず「お疲れ様です!」と声をかける。

照明搬入の際は何度もすれ違うので、
同じ人に何度も何度も挨拶してましたね。

チームワークといったところでしょうか?

こういったことが徹底されており、
演劇の世界はこんなにも厳しいものなのかと思いました。

言われたことが出来ず、約束を守れず、
先輩から泣かされたこともありましたし、
ぶたれたり、蹴られたりすることもありました。

劇研の部長、副部長はとても怖い人でしたが、
照明担当の先輩達は優しい人もいて、慰めてくれる人もいました。

そういった苦い場面があってもやっていたのは、
演劇をやりたかったし、声優もやりたい、
いままで6年間何もやってこなかった自分がいる。

だから、必死にくらいついていました。

いままであんなに演劇部に入るのを躊躇っていたのに
いざ入ってしまうとこんなものです。

そんなこともあってか1年間やり通しました。

1年間やってきて思ったことは

“演劇は厳しい世界”

そう思い、演劇研究会を退部しました。

これは挫折といってもおかしくありません。

退部届はあっさり出してしまいました。

一応、挫折と書きましたが、
この退部届はいままで6年間逃げてきた時とはワケが違います。

逃げというよりかは、これを糧にしてどこかで演劇をやる。

そんな決意もあったかもしれません。

どちらにしても

“演劇は厳しい、つらいからもうこりごり”

ではなく、

『演劇とはどういうものなのかよくわかった
こういった厳しさもあることが分かった上で声優を目指す!』

という感触です。

実は本音を言うと単に、このままやっていたら留年してしまう…

そんなことが頭にあったからです。

今思うと私が入った劇研は厳しい環境でした。

それでも今まで厳しい環境から逃げてきたから、
鍛えられたと思ってます。

劇研は文化系ではありません。
ガチ体育会系でした。

外部劇団の芝居を見に行くようになる

大学2年になってからはサークルはグリークラブ(合唱部)に入りました。

グリークラブは劇研とは違い私に合っていました。

合唱コンクールに合宿、飲み会、他大学のグリークラブとの合同練習
などなど、行事が目白押し。

すべてにおいて楽しかったですね。

結局、このグリークラブを大学卒業するまで
やり続けることになります。

演劇の方はたまたまなんですが、
同じ学部の人で外部の劇団に入って芝居をやっている人がいました。

その人とお話した際に、今度舞台やるので見に来てください
というお話をもらい観劇してきました。

観劇してみてなんというか、
なにもかも初めての事すぎて声も出なかったと
表現したほうがいいかもしれません。

そのくらい衝撃的なものでした。

小劇場だったのですが、
まず役者さんとの距離がめちゃくちゃ近いし、
生の演技はテレビドラマを見ている時の比ではないくらい
臨場感に溢れていました。

“これはすごい!”

言葉では言い表せない感動がありました。

それから、様々な劇団を観劇するようになります。

観劇することで演じることの楽しさを教えてもらった気がします。

自主的に演技の練習をはじめてみた

それからは声優になるための道のりとして、
自主的に練習を始めました。

たまたまなんですが、
私の実家は母親が日本舞踊の先生で、
家の2階はちょっとした舞台のような部屋になっています。

そこで練習をしていました。

滑舌の練習、お腹から声を出す方法など、
この時は完全に独学。

自分であれやこれややってました。

なぜ、自主的に練習したのかというと、
声優養成所に通おうと思っていたんですが、
この時は養成所の学費を払えるくらいのお金もない状態でした。

そのため、バイトをしてお金をためている間、
自分でそれなりに練習しておこうと思ったのです。

入所オーディションを受ける

こうして養成所のオーディションまでの準備を重ねていき、
無事入所を果たすことができました。

この時の私は、たまたますんなり合格してしまいましたが、
オーディションで落されることもあります。

オーディションの履歴書は
就職試験でもないですから書き方が特殊です。

自己PR、志望動機、趣味、特技、映画、本、芸歴など

こういった項目をどう埋めていけばいいのか?

手探りな部分はありました。

講師の先生が行っている合宿に参加

養成所のレッスンは内容の濃い物ばかりでした。

ある講師の方は外部でもレッスンをしているとのことで、
その練習にも参加しました。

東京を出て、山梨にある稽古場に行き、
泊りでその講師の方がやっているレッスン生と一緒に
稽古を重ねたりしました。

まさに合宿稽古。

生活スタイルも料理も掃除も全て役者の糧となる。

動きひとつとってもそれは演技につながる。

演技、発声、滑舌、
どう感情を動かし伝えればいいのか
丁寧に教えてくださるその講師の方はとてもわかりやすかったです。

なんでも、高校演劇の審査委員も務めている方とのこと。

レッスンの時だけでなく、
その時過ごしたライフスタイルも勉強になりました。

事務所に所属。声優としての仕事をこなしていく

養成所を経て、プロダクションに預かりで入りました。

養成所の最後には卒業公演や
プロダクション所属オーディションというものがあり、
そこで実力が認められた人は
プロダクションに所属することが出来ます。

また、ここでダメだった人は
嬉しくない“卒業”というかたちをとることになります。

私は大手のプロダクションではないにしろ、
小さなプロダクションでしたが“預かり所属”になりました。

これで事務所所属。
仕事ももらえる立場になりました。

ここから少しずつですが、
声の仕事をもらうようになります。

外国映画(外画)の吹き替え、アニメ、特撮、CM、顔出し…

色々仕事やりましたね。

はじめて声優の現場に出て、もらったギャラは
封筒の中に入れてずっと使わないで残っています。

自分が声優として仕事をしてはじめて手に入れたお金です。

バイトで稼いだお金とは訳が違いました。

現場に出ると、当然のことながら、
良く知っている有名声優さんと顔を合わせることになります。

今や声優業界のトップとも言える、
山寺宏一さんと一緒に舞台をやったことがあります。

山寺さんの声は本当に素晴らしく、
七色の声という話の通り、一体どこからその声が出ているのか
というくらいのレベルでした。

舞台本番前に山寺さんから声をかけてもらい、
色々と励まされ気持ちも入って舞台に立ちました。

現場に出ると、

“あの憧れの声優さんと共演できる”

という気分はありません。

仕事ですから、むしろ対等な関係です。

それでも、いままで抱いていた夢を実現することができた。

その喜びを感じながら、自分もプロであること。

山寺さんに関わらず、大御所声優さんと隣同士で
マイク前に立つことになりますから、
現場ではそれに恥じない演技をするため、最大の努力をしました。

テレビで自分が演じたシーンを見ましたが、
やっぱり恥ずかしいものですね。

“こんな演技で本当に良かったのか?“

“自分の声だけ妙な違和感があるのでは?”

と、自問自答していたこともありました。

あるきっかけから今までできなかったことが嘘のようにぐんぐん伸びていく

これまでの経験談を長々と書いてきましたが、
きっかけというものは些細なもので、
それがあるだけでとんとん拍子で駆け上がることが出来たりします。

逆に言うと、そのきっかけがなかったら、
ここまでのことはできなかったかもしれません。

思い返してみると、びっくりするぐらいの出来事ばかりです。

6年間も前に進めなかったのに、
いざ扉を開けて一歩前に進んでみたら見える景色が全く変わった。

覚悟を決めて、一歩前に進む。

あなたが本気で夢を掴みたいのであれば、
その一歩を踏み出す勇気が大事です。

私自身が身を持って感じてきたことです。

自分ではどうすることもできなかったのが、
素晴らしい環境に入ることができた。

そこで自分を成長させてくれる方と出会い、
実力もつき、認めてもらえるようになり、
仕事がもらえるようになった。

人見知りでコミュ障が嫌で、
変わりたくて、飛び込んだ声優の世界。

そこから、声優として活動をし、
一定の評価をいただけるまでになった。

今ではプレイヤーだけなく、声優を目指す人向けに
プロデュースにも携わるようになりました。

それがこの「声優のいろはボイスアカデミー」でもあります。

あなたはどんな声優になりたいのでしょうか?

それぞれの個性を生かすための道標として、
「声優のいろはボイスアカデミー」を上手く活用し、
あなたらしい自然体の演技、
豊かな表現ができる魅力的な声優を目指してください。

声優には夢があります。

仕事の幅も多岐に渡り、
ジャンルにとらわれないスタイルが求められています。

その分、多くのチャンスもあります。

そのチャンスを掴み取っていきましょう。

それでは、長くなってしまいましたが、
ここまで読んでいただきましてありがとうございました。